東京都杉並区は人口約52万人。そのうち1万人が外国人登録者となります。 基本的には住宅地ですが、ここ数年、レジ袋税、住民基本台帳ネットワークへの不参加、あるいはアニメの杜構想などでマスコミにしばしば名前が取り上げられたりしています。
杉並区は数年前、いわゆる「杉並病」でやはり世間を賑わせました。そんな反省もあるといえましょうか、「環境推進都市」を目指しており、市民の地域自治に対する意識は高いと言えると思います。
また、オーガニックの野菜や食品を売る老舗店がいくつもあったり、鍼灸や整体などの東洋医学やアロマテラピー、カイロプラクティックなどのいわゆる「代替医療」を扱う医院や医師等が多いのも大きな特徴といえます。
そんななかでも注目したいのは、「中央線文化」という言葉です。
中央線は、御茶ノ水駅を起点に新宿を通り、中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪、吉祥寺を抜け、国分寺、国立のほうへとつながっていく路線です。 このうちの高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪が杉並区にあたります。
この「中央線文化」とは何か。
作家の三善里沙子さんは、『中央線の呪い』という本を書き、「中央線沿線に住むと、そこから抜けられなくなる魔力のようなものが人々をとらえてしまう」と述べています。そんな街の魅力を「呪い」と呼んだわけですが、これは私たちに重要な視点を与えてくれています。
1960年代~70年代にかけて、世界中で「カウンター・カルチャー」(=対抗文化)が台頭しました。
これは、このまま科学が進歩を続け、世界資本主義が右肩上がりで拡大を続ければ、いずれ環境に重大な負荷をもたらすであろう、だからそうした拡大のペースをスローダウンし、もっと環境にやさしいライフスタイルを選んでいこう、ということで起こった運動だといえます。
そんななかから、有名なレイチェル・カーソンの『沈黙の春』が発表され、あるいは環境運動、あるいは食に対する意識、あるいは代替医療、あるいは教育の見直しという形で、世界へ浸透していったのです。
おそらくは、イタリアで起こった「スローフード運動」も、これらと無縁であることはないと思っております。
中央線沿線には、まさしくこの「カウンター・カルチャー」で中心を成した人々が根付いていきながら、街の空気を形づくってできた様相があります。それこそが「中央線の呪い」なのです。
実際、西荻窪の「ほびっと村」(1976年スタート)、荻窪の「グルッペ」(1977年スタート)を筆頭に、杉並区、あるいは中央線沿線には、オーガニック野菜や食品を嗜好する消費者層がしっかりと存在します。
そして、これらの先達が築き上げてきた街の空気は、環境問題や食の安全等が世間の重要関心事となりつつあるいま、ますます輝きを放っていくことと思われます。
スローフードすぎなみTOKYOコンビビウムは、まさしくこうした街の空気の中から生まれました。
これまでの先達が築き上げてきた空気に寄り添いながら、なおかつそれを先へ前進させることができれば、というのが願いです。
すぎなみTOKYOコンビビウム代表 佐々木俊弥